【たぶんネタバレ注意】「言の葉の庭」で使われていた伏線とその使い方で好きだったところ
先日、新海誠さん監督の「言の葉の庭」を映画館で見て来ました。
『言の葉の庭』 予告篇 "The Garden of Words" Trailer - YouTube
どうやらiTunesStoreでも有料配信されてるようで、珍しいなと少しだけ驚きました。
(上映中映画を配信する前にもっと既存映画のバリエーションを増やしてほしいなとか思いつつ……)
新海誠監督の作品は「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」「星を追う子ども」といった劇場映画やCM等好きで追いかけておりました。
アートワークについて専門的なところは門外漢なのですが、映画自体期待を裏切らない出来で、実写のようでなおかつそうでないということもはっきりわかる、ただただ高いクオリティなのだという事実に圧倒され、世界にどっぷり没入しきり。
実写でもなく、アニメとはまたかけ離れた、全く違う次元の世界を覗いているようでした。
既作品を見ていても感じていたのですが、監督の作品ではキャラクターそのものの強さ(どういう口癖とか、なんの食べ物が好きとか、そうしたキャラクターのアクだったり)や記号性というよりは、彼ら彼女らがどういう状況に置かれ、どういう思想を持ったキャラで、どう心情が動いていくか、にスポットが当てられている印象でした。
まぁ、今更僕ごときがいうまでもないかもしれませんが……w
今回の「言の葉の庭」でも、そんな特徴は健在。
キャラクターの名前も(他人から呼びかけられるなど)便宜的にのみ使用されている印象で、彼らの心がどう動くか繊細なところそのものを描写しようとするところに重点を置かれている印象でした。
ヒロインの名前はミッド・ポイントからチラホラでてくるぐらいで、下の名前はラストでようやくでてくるというぐらい。(見落としていたかも?)
この映画では伏線の貼り方や設定の示し方(説明ではなく描写で示す)など、小説・シナリオを描く上で「参考になったなぁ」とか「勉強になるなぁ」的に思った場所がかなりありました(小学生並みの感想)。
新海誠作品には、それら設定の示し方やモノローグの表現が個人的に気に入っているところが多いです。
「言の葉の庭」でそれらを思い出してみると……
ヒロインの設定と「幸せな時間」描写
ヒロインが職場の高校(?)での事件から味覚障害になっているということが示されているが(ビールにチョコレートという引きをつけることに成功している)、主人公がそうと知らずに食事を作ってあげている。ヒロインも明かさずに受け入れ、幸せな時間として描いてあった。
たぶんヒロイン、主人公が作ったオムライス(だったっけ?)やコーヒーの味は感じられていなかったと思う。
にも関わらず幸せであるということが示され、味覚の件については触れられていない。(たぶんここで触れたらテンポが落ちるため?)
二人が出会った舞台
雨の時にだけ、というモチーフ。主人公とヒロインが出会う場所で、二人の距離を縮める場所でもあります。
ビジュアル的なところもあったかもしれないけど、雨の日の公園にはまず人などいないし、東屋には自然とふたりきり。
二人きりですごす、二人の空間というものはちょっと他になさそう。
主人公が雨好きであることとその使い方
主人公がなぜ雨が好きなのか、を何より先に示している。主人公の人となりについてより先に。
それにより、「なぜ雨の東屋にいるのか」ということを示すにはたぶんベストなタイミングかもしれない。あとでごちゃごちゃ
「歩く練習」
雨の公園という舞台が先にあって、その理由付として設定が出てきたのだろうか?
を示していたので、ストレスによるものか。それともリハビリか。
靴がなくても歩けるようになる練習ということと、主人公の夢と、靴職人で主人公がその靴を作る。
短歌と返し歌の伏線
短歌については「ちはやふる」を読んでいるぐらいであまり詳しくなかったのですが、一見分かる人の少ないであろうモチーフを使うことで、展開を読まれにくくする上に主人公の職業と絡ませられることに成功しているように見えました。
文学的? な一人称比喩表現
漫画や映画では主人公の一人称で感覚の表現だったり、比喩が用いられていたりするものに好きなものが多い。個人的に。
漫画「3月のライオン」では
ずっと足の付かない海にうかんでいるような日々だった
この小さな盤しかすがれるものはもはや無かった
のような表現が随所に使われており、新海作品でも
「今、振り返れば、きっと彼女も振り返るだろうと強く感じた」 (秒速5センチメートル)
(↑かなりうろ覚え)
など。
「言の葉の庭」でも、
晴れの日のこの場所は知らない場所に感じる
など比喩や感情を言葉で描写する場面が多く見られました。
まぁあれこれつまんではみましたが、あまり考えて考え抜いてというよりは、感覚と言ったらあれだけど、わりとナチュラルにやってた感じ。
脚本書いてる時はどこまで理詰めで、どこまで感覚でやってらっしゃったのかなぁ。アートワークばかりで脚本のインタビューはないのかな。たぶんないよな。
先日は1回目の鑑賞だったのですが、2回・3回と繰り返し見ると違う目の付け所がでてきて、より多く楽しめる映画ではないでしょうか。